大切な方を失ってつらい、
その思いを
知ってるからこそ、
支え合える
大切な方を自死でうしなった人が、
お気持ちを分かち合える場所があります。
思いをのせるこころノートには、大切な方をうしなった思いが投稿されます。
ここに書かれているのは、普段心に秘めているそのままの言葉です。
昨年6月に世界一大切な妹を 自死で失い 日常生活をなんとかできている 状態です 寒さが厳しいエリアで けっこう気分の落ち込みもあり つらかったのですが最近 暖かくなり少し運動もしながら 気分転換をしてなんとか 日常生活を保てています 皆さんも本当につらい日々と 思いますがなんとか 生きましょう
わたしは両親と親友を亡くしました。 両親は病気で。親友はいじめで亡くなりました。 現在は一人暮らしをしています。 高校生です。 両親の病気のことは知りませんでした。亡くなった時に初めて知りました。 なんで教えてくれなかったのだろう。 最初はわたしがいじめられていました。 わたしをかばってくれたのが原因でいじめの標的が親友になってしまいました。 わたしがずっといじめられていたら親友はまだ生きていたのに。 その出来事があってから体重は10kg痩せ、学校にも行かず、外にも出ず、部屋に引きこもっています。 外に出る気がありません。 遠くに住んでいる幼馴染はいて、一ヶ月に一度会いに来てくれるのですが、最近は拒否をしています。 もし、事故にあって亡くなってしまったらどうしようとか色々考えてしまうのでもう来ないでほしいです。 また大切な人が亡くなるんじゃないかととても怖いです。 自殺したいです。
おはようございます☀ お気遣い ありがとうございます。 少し前までは、寝不足なのに、眠くならなかったのですが、ここ四五日は、勤務の終わり頃の11時頃から睡魔が襲ってきて、電車に乗っても、ウトウトしたり。アクビばかりをしてます。また、食欲もなかったのが、最近はお腹の空いたのを感じられるようになりました。好転してるのだと、今のクリニックの先生に出会えてよかったと思ってます。 昨日はお休みと、三女の誕生日でしたので、一日を有効にしようと思い、早くからクリニックに並び、どうしても見たかった映画「35年目のラプレター」を見ました、鶴瓶さんと、原田知世さんのダブル主演で、公開されるのを心待ちしてました。思ってたように、感動して涙が止まらなかったです😭 それから夕食の材料とケーキを買って帰り、娘の大好きな「スジ肉カレー」を作りました。忙しい一日でしたが、心良い一日でもありました。発疹もかなり少なくなり、痒みは全く感じられません、花粉症も感じられなくなりました。全体に飲んでたお薬がずいぶん少なくなりました。 少しづつ、好転をしているのを感じてます。 ゴロゴロさんには、ご心配をお掛けして、本当にありがとうございました🙇 少しづつ、気温が上がりそうです。 今日もお仕事、頑張ってください。 気をつけて行ってらっしゃーい🫤
私は、今までつきあってもらった女性が7名、全員が病気や、自死や、交通事故で全員を亡くし、今は誰も周りに居なくて、話し相手も誰も居なくて、色んな思いが溜まって、体調不良になってしまいました。 今年に入って8Kgも痩せて、2月からは、ある朝起きたら全身に発疹ができて赤くなり痒くて眠れなくなりました。いつも行ってる皮膚科に行くと、あなた、、その身体はどうしたのって。原因も解らず、お薬もいろいろ試行錯誤で試してます。 また、仕事が遅番なので、帰るのは12時30分頃で布団に入るのが一時を回ります、なのに、決まって4時頃には目が覚めてしまいます。頭が重くて、耳鳴りもします、なのに眠たくならないのです。突然、花粉症も発症していつもの耳鼻科に行きました、先生いわく、もう、20年くらいなるけど、二、三年に一回位は来てますが、いつも5月の檜だよ、この時期は初めてだよって。 いったい自分の体に何が起きてるのかどの先生も思案をしています、心療内科も20年くらい通ってますが、いつものお薬が効かなくなってしまいました、何があったのですかと。 いつも見る夢は決まって、泣きながら誰かを探してます、顔も名前も分からいのに、後を追い続けでます。 もう、崩れてしまいそうです。誰かの胸の中に泣きつきたい気持ちです。 あるメル友さんが、前はよくアチコチに出かけて、今日はこんな所に来てますとメールとお土産を送ってくれたのに、そう言えば、いつからか、そんな話を聞かなくなってますね、大好きな奈良公園にも行ってないでよねって。 はたと気が付き、奈良公園を歩き、東大寺の大仏さんの前に手を合わせて最近のことを話ししてたら、涙が出て止まらなくなり、15分くらい泣いてました。 本当にどうなってしまっのだろうか、これからどうなるのか怖いです。
母親を18の時に亡くして13年が経ちました。お母さんは愛情を私にたくさん注いでくれたので亡くなってから一日足りとも忘れた事はありません。社会人になってからクヨクヨしていると周りから変だと思われるので、元気を出そうと努めているのですが、なかなか立ち直れない自分がいます。他人からはもう過去のことだといくら言われようとも、忘れる事はできません。夜中に目が覚めて思い出してしまいます。いっそのこと私も母親のところに行きたいと何度も考えましたが、天国へ行ってしまった母親に会えるのかどうかも、私が天国に行けるのかどうかも分かりません。どうしたらいいか分かりません。立ち直れない自分が不甲斐ないです。悲しみに囚われてしまいます。どうしたらいいでしょうか?
13年前に姉に死が訪れた。あれからの13年という年月が自分にとってどんな意味があったろう。生まれた人はいずれ皆死ぬ。俺もいずれ必ず死ぬんだ。死を急いだのか、偶然だったのか、どうなんだろう。今こっちの世界に姉はいない。13年の時間がそれをはっきりとさす。死にたい人の気持ちをわかりたいがわからない。俺は死にたいって思ったことない。じゃあなぜそんなにその感情にひっつきたいとおもうの? 死にたいていうやつ、命を粗末にするやつ、勝手に死なしといたらええんや。 よく聞くそんな声、それもそうだろう。考えの自由、命の尊厳はその人にある。 でも、心から死にたいと思ってるやつは本当にいるのかな? その人が息する時間の中で、呼吸をも許されない縛りの時間も、なんとか息して震えてきた時間を想像する。そりゃあ死にたいって表現になるって。死にたいって言葉だけじゃはかれないものっていっぱいある。 言葉だけをすくい上げてしまうのも無理はない。言語が発展したからこそ、感覚が鈍るのも無理はない。 どうしてもこうしても追い詰められて、もうほんとに限界、それでも迷って苦しくって、 死という逃げ場所は誰かに取り上げられるものじゃない。 生きたいけど生きてられない命、たくさんあったろう。 疼き吠える感情を、自分を殺す気持ちで覆いかぶして、生まれ変わろうと羽ばたいた命もあったのではないだろうか。 死を選ぶほど、この世に残れなかった無念の現れではないのか。 いずれ俺も死ぬから、今死にたいと叫ぶ魂に、どうしても情熱を捧げたい。 願えるならば、姉に会いたい。