思いをのせるこころノートには、自殺についての思いが投稿されます。
ここに書かれているのは、普段心に秘めているそのままの言葉です。
もう疲れた そろそろかな
しにたい きえたい しにたい
家内を癌で亡くしてます。昨年17回忌法要を終えましたのでもう許してくれるかと。まだ47歳でしたので、残された人生が考えられなくて、寂しくて悲しくて、落ち込みました。でも子供がいるので、治療費が、莫大だったので懸命に働きました。そして振り返ったら、隣に誰もいなくて、話を聞いてくれる人がいなくて、寂しくてたまりません。話し相手が欲しいです、ハグをして胸で泣かしてくれる人に会いたいです。 一緒に食事をしたり、映画を見たり、時には旅行に行ったり、そんな人を探してます。
なんか消されてる気がする 最悪ここでも存在消された
みんなには媚びまくって 私を踏み台にする同期と コイツには何しても良いと思ってる上司がいる 当然みんなは同期の良い面しか見てないし 比較してくる 上司はなおさら同期をあげて私をさげる イライラするのは自分だけ 何この人生 なんで誰かの人生のサブキャラにならないといけないの 生きてる価値ないわほんと 死ぬ時は絶対ノートとかスマホとか あらゆる所に日記残してやるって 少しずつためてる あと少し頑張るから楽に死にたい 誰が見てるの私の事ちゃんと
私が自殺を何度もはかった時、携わっていた専門家らが各々の仕事を規定通りにしてくれてさへいれば、今の私の現状の困難さは軽減されていたのではないか。という思いが消えない。 別に入院したって良かった。 今は変えようがない過去に振り回される。とにかく今は精神の回復をするための工程を一つ一つこなしていくしかないのだと腹を括る。そうすると元気そうに能力がありそうに見えたようで、こちらの病状、気力、体力、不安感、経済力、家庭内での扱われ方、家族との関係性を無視して、過剰な努力を要求された。その事への疲弊、恐怖が、またこれからやっていくしかない、腹を括って今は回復や現状何ができるかを見極めてそれをやっていくしかない。というエネルギーを伴う行動を軋ませる。自分の人生を良くするための行動が何故他者からの妨害のトラウマで阻害されなければならないのかという怒り、悲しみに襲われている。しまいには無気力になりそうで喚き散らしたり当たり散らしたりしたくなる。そうした事をしても現状が更に滞るのでグッと我慢してしまう。話を聞いてくれる相談員はいる。相談しすぎではという位相談してしまう。いつかあきれられてしまうだろうかとハラハラしているてころもある。ただ話を聴くと言う事に関して大変優秀な方なので、配置換えなので違う人が担当になったらキツイだろうなと気が重くなっている。行動を起こせばおこす程、自分の能力の衰え、非力さを痛感する。やりたいことだってあるのに、それを安心して取り上げられないでできる状況までまだ遠い。生活がある程度安定しないと出来ない事だから。今それに打ち込んでしまえば現実逃避に成りかねず、結局生活もままならず好きな事もできない最悪な状況になってしまう。今度は周りに邪魔されないように今はとにかく生活を、自分の命を守る行動をとるのだ。きっとそこまでいけば、今よりは強くなっていられているだろうから。