思いをのせるこころノートには、自殺についての思いが投稿されます。
ここに書かれているのは、普段心に秘めているそのままの言葉です。
酷いことをしてきた連中の相談をした。話の流れでとうに生きて居ないかもしれない人間に振り回されるのは不毛という話になった。生きてるのか死んでるのか正確な処は分からないが、大笑いした。ああ、そうだあんな連中が、生きていて良いはずはないのだ。どっかでバチが当たって死んでいるのかもしれない。善良で死ぬべきではない人の代わりにそれら運命が降りかかって代わりに死んでいるといい。せめてそのくらい役にたて。人の目がない処で障害者虐待してきた能無し給料泥棒の屑どもめ。もし生きていたら法律の限りを使ってお前らがやってきたことを世間にしらしめてやる。
もう無理です 何もできずに死んでしまうのも悲しいですけどもう無理です 死にたい気持ちでいっぱい
「何かあったら話聴くよ。」いつからこの言葉を私はもう何年言えていないだろうか。自分の事で精一杯で正直人の事まで手に負えないのだ。それともその程度の付き合いしかなかったのだろうか。なんだか本当に悲しい誰かに愛されないて無いことも悲しいが、自分が誰のことも愛していないのが誰のことも気にしていないのが悲しいのだ。
自分でどうにもできないことを我慢し続けていることがしんどくて、どうすれば幸せになれるかずっと考えています。死ねば無になるから幸せになれるのかな。私はこれ以上我慢できるのかな。しんどい。
自分は死んでしまいたいという気持ちがありますが、とにかく早く死んでしまいたいです。ですが、死んでしまうと、何もできずおそらく後悔するだろうと思うので、それで生き抜いてきてます。
今日はどうにもどうしようもない気持ちから離れられない。あの時ああしていれば、あの時逃げられていればとかなんか色々考えてしまう。それが止められない。今朝は若い頃の友達と若い頃の自分が出てきた。あの時からこの家から逃げたかったんだったな。って最近は無気力になって思い出さない事を思い返させられた。逃げられないで踏み潰されてきた日々がそのくやしさややるせなさが、これから生きていこうという何かにつながって欲しいと思う。支援する立場の人間にもう2度と足を引っ張られないように戦わねばならない。勝つ。必ず勝つ。勝って幸せになる。誰にも邪魔させない。