思いをのせるこころノートには、自殺についての思いが投稿されます。
ここに書かれているのは、普段心に秘めているそのままの言葉です。
私は専門学校卒という高学歴でありながら、就職できないフリーターです。 現在、就職活動を行っておりますが、 どの会社からも内定がもらえず、自分は価値のない人間なのだと思いこむようになりました。かつての同級生や、私の兄弟は既に就職したり、成功を遂げているのに私は、失敗してばかりです。自分に自信を持てなくなりました。私は、昔から何をやっても失敗ばかりしてきました。もう…心が折れそうです。私は、何をするために生まれてきたのでしょうか?
あの時の私を助けてやれることは出来ないが今の私を助ける事であの時の私も救われるのではないかと思って暗中模索
もう つかれた
6月4日に死に場所を探して家を出ました。お金がない。もう生きていけない。 漠然ともう死のうと思いました。44歳、男性。軽度の身体障がい者です。手帳は5級です。生活保護を受けて、障がい者就労A型に通っていました。住んでいるアパートの大家さんが変わり、引っ越しをしなくてはならなくなりました。僕はお金はカツカツで美味しいものを食べたり、お酒を飲む事にどはまりしていました。引っ越し費用はおよそ30万円ほどは掛かると思った途端、ああもう無理。これはもうどうしようもないと諦めたんです。生きにくい世の中だから。一難が去ってもまた一難、それどころか苦難は次々に訪れますからね。もう駄目。と、繰り返し想う内、なにもしなかったら、すべての選択肢はなくなりました。 家を出て、安宿に泊まって酒と煙草を毎日繰り返しました。働こうとは考えられなかったです。安い食品を食べて安酒を飲みました。食って飲んで煙を吸って、だらだらともうすぐ死ぬのだと思っていました。当初は、駅のビルの広場から飛び降りようと考えていました。先月の事件で、9階の高さなら即死出来ると目安を持ったので、15階ほどの高さのあそこなら出来るだろうと考えていました。首吊りでも失敗するのかと知り、飛び込みなら電車に体をバラバラにされるので、失敗も痛みもないのだろうと考える様になりました。そして、飛び込みは調べるとあちこちでしょっちゅう起こっているので、申し分はないと考える様になりました。 この数週間、何日もの間、とにかく外に出ていました。働いている人を見て、この人は生活の為に頑張ってる、我慢している。と考えて、自分の無力を感じました。公園に行くと、暑い中長閑に笑ってる人を見ました。昼休みに外で食事をしたり、具合が悪くなった犬をワゴンに入れて連れて来て、少しの距離だけを歩かせている人もいました。行くところのない僕は強い日差しの暑い昼間、ぼーっとベンチに座っていました。みんな幸せそうだと見えました。あっちこっちと自転車を漕いでる内に、体が鍛えられました。特急や勢いの加速した電車の線路に飛び込むとはどういう事なのか? ホームから線路に飛び込んでも、咄嗟に線路の下に潜り混んでしまったりしないか、命を絶つ事に失敗してしまったりしないかと、考えたりもします。結果だけを見ると、簡単そうだけど、目の前に電車が突っ込んでる様を見ると、こわくなりますね。一瞬。 ほんの少し勇気を持って飛び込む。 あれもこれも考えるのは疲れました。
あー、人生つらいです。毎日死にたいと思っています。 筋トレが好きで仕事に関する勉強もまぁまぁやってある程度の努力を欠かさずに生きてきて周囲から信頼もされ自分もしっかりやっているという自負もあった。 ただ、自分の努力の範疇ではなく、外から一方的にもたらされる問題によって崩壊してしまった。詳細は書かないが・・・。とにかく、人生というのは往々にして自分の努力ではどうする事もできない不運がやって来るんだと思った。今はそれに翻弄されている形。ここから俺は立ち直れるのか。まだやれる事はあるから生きてみようとは思うけど・・・。ただ、とにかくつらいし正直もうあきらめたくなる気持ちもかなりある。
私は何回も自殺しようと考えた。 でも無理だった。 もちろん家族に相談できやしない。学校も。 私は「生きる」と言う事に疲れてしまった。 いらない情報・失敗したあの日常・先生に怒られてみんなに注目された時・親に叩かれた毎日。早く早く早く早く早く早く消えてしまいたい。