思いをのせるこころノートには、自殺についての思いが投稿されます。
ここに書かれているのは、普段心に秘めているそのままの言葉です。
もう限界です
父ともっとぶつからなければならなかったのかもしれない。 でも体力気力がなかったんだ。あの時は。 父は子供を持つべき人間ではなかったのかもしれないな。と最近少し考える。 母とは割りと強引に結婚したようなので、それで我慢して子供は諦めたほうが良かったのではないかと思う。この家で産まれた子供はみんな精神的な病を得たので。それは家族関係が関わってないなんていうことは全くないわけなんだから。 母も別に子供は居てもいなくても良いというスタンスだったと本人に聞いた。 昔は良い家だと思える時もあったが、しかしそれは両親の独り善がりの愛情を注がれただけだったのではあるまいか。と今は感じている。 疲れている。休み休みいかなければ。
さっき、体調が悪く、すごくつらかったです。
なんかスカッと生きてくための努力をしたいのだが、またおんなじ事が起こって結局私の人生はなにもかにも上手くいかないんじゃないか。という気持ち、考えにとらわれている。 そうなると、もう何もしたくなくなってくる。希死念慮が消えない。 超長期的スパンで考える様にして今の状況は最悪でも今できる行動を積み重ねていけば、少しずつ状況は好転していくんじゃないかって努力をふみにじられたことがあるから。 精神障害をケアする国家資格を持った人間に。 そうするともうそういう立場の人間に期待・信頼をしなくなっていく。それでも人に助けてもらわなければ前に進めない状態だった。何度も対話を試みた。勝手に軽症扱いされた。最初の相談では怒鳴られもした。ちゃんと予約を取ってそれまでちゃんと待ってたのに。 そこで福祉のそういった事に介入できる第三者に相談するとかすれば良かったのかもしれないが、もう変化に対応できる状態じゃなかった。疲弊しすぎていた。 今、役所で相談にのってくれる相談員さんや障害福祉課のケースワーカーさんは大変誠実に対応してくれていると思う。当時携わった障害者施設職員に対してもそれはおかしいという見解で居てくれている。 ただ、その相談員さん等が有能であればある程、なぜあの時そういった人が一人も居なかったんだろうと思ってしまう。過去は過去で変えられないのは重々承知なのだが、もしちゃんと対応してくれていれば今の私の人生は違って居たのではないかと考えがわいてくるのを止められない。そして、もうそれは過去の事で今、今の状況に集中しなければと気力を振り絞るのだが無気力になってしまうのが辛い。 処方薬もちゃんと飲んでいるのだが、最近はよく眠れない。そして起き抜けに酷い対応をしてきた障害者施設職員の言動が思い出されたりする。 ここからまた始めなければならない。状況が好転していくのを願っている。少しずつでも。そしてそれが邪魔されない事を願っている。もし邪魔されても対応できるように願っている。 疲れ切らないように少しずつ少しずつ。
恵まれてるし幸せなはず。なのに消えたいし死にたい。もういやだ。学校も行きたくない。ただのストレス。将来の夢も私の自由なのに勝手に決めないでよ。ほんとはリスカもしたいし死にたい。でもリスカしたら親がうるさいし誤魔化すのもめんどくさい。もう解放されたい...
状況を良くするための行動が自分を疲弊させて、もう生きていたくないってなってしまうクソみたいな状況だ。 最近筋肉が落ちてきてしまった。 いつまでこの状況が続くんだろう。 一歩一歩だとは、分かっている。 でも無理解な言葉を専門家から言われるのは本当に疲弊させられる。 頑張らなくちゃいけない。少しずつでも。と自分に言い聞かせる。