思いをのせるこころノートには、自殺についての思いが投稿されます。
ここに書かれているのは、普段心に秘めているそのままの言葉です。
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたいもう生きたくない生きるのは辛いたかが18年とかそんなんどうでもいいもう嫌生まれてきたのなら簡単に死ねる権利だってくれよなんで生きるのが当たり前なんだよ毎日鬱陶しいだの消えろだの言われて誰が生きたいって思うんだよ誰も助けてくれないじゃん死にたいなら死ねば?って言うじゃん相談してもそれは虐待じゃないとかなんだの。話聞くだけの奴らばっか。助けるって知ってる?助けてよ。裏切らないって言ったじゃん。なんで裏切るの。嘘つき裏切り者ばっか。なんで私なんか生きてるわけ?なんで鬱陶しいなら私を産んだの。私は幸せそうだとか決めつけんなよお前らの想像の何倍も生きづらいわ助けてくださいよ。相談窓口も22:00とか24:00までそんな時間に病まねぇよ。病むのは深夜の2:00とか3:00だよ朝になったら相談する気力もねぇんだよそれでまた深夜になったらこうなるんだよもう疲れたよしんどい死ぬことを許して欲しい。
もう一度、もう一度 これからこれから
私は生きようとしている渦中で死にたかった。 生き足掻いてる生き物としての生を全うしようとしている渦中で死にたかった。 自分の事が好きなままで死にたかったから。 あの時死ななくて良かったのかは分からないけど、空を見て晴れていて気分が良いというのは良いものだ。
人生のチャンスを掴みそこね掴みそこね、どうしようもないゴミみたいな人生を生きている。なのにいっちょ前のことも言いたがる。そんな自分が憎いと思うほど高潔でもなくなった。今の私は何なのか。もう本当に疲れた。悲しい。人間扱いされて嬉しくなって申し訳なくなって悲しい。 死にたいというより、もうとけて解けてしまいたい。 でもまだ生きているから、私の脳はまだ動くから何かおもしろいことがしたいんだ。経験しなければ分からないこと、経験したから更に分かること、技術の蓄積。これからはせめてそんなのを大事にしてそれをやることにすがってせめてつまんなくなかったって人生をやっていきたいのさ
死にたいとか、簡単に口に出せると打ち明けられると思ってんじゃねえよ。プロだって赤の他人だろ。それまで何とか自分でどうにかできないか頑張ってきたんだよ。それをその言葉を口にすると自分が崩れ去ってしまうような、今までが何の意味も無かったみたいな気になって一気に自殺に向ってしまいそうになってしまうんだよ。家出てきました。今日泊まる処も、お金もないんです。で、シェルター紹介してくれるなんて知らなかった。その間に生活保護の手続きとかしてくれるとか。親に殺されるか親を殺しそうだって話したのになんでちゃんと聞いてくれなかったんだ。状況を勝手に決めつけんな。あの時ちゃんと話せて居たなら、この施設は駄目だともっと認めていたなら、行政にもう一度話しをしに行こうと思えていたなら、私の人生は違っていたのだろうなあ。世間知らずの馬鹿女の職員なんか相手にしないで他の職員さんに話を聞いてもらえば良かったのだ。でももうそんな余裕無かったのだ。 今日は本当にいい天気だ。 死ぬのにはいい日だ。ってネイティブアメリカの人の言葉があるがそんな感じだ。 いつか私はこんな日に死にたいのだ。 こんなこんな人生になってしまったが悲しみに潰されて消え失せてしまいたい日もあるが、私は生きて生きてから死にたいのだ。 これからどんな人生になるか分からないが、私は生きて生きてから死にたいのだ。
行政の方とのやり取り、あれで合っていたろうか、こちらの状況ちゃんと理解してくれたんだろうかとか不安になってしまう。いつも担当してくれている方とは違った方だったのでいつも担当してくれている方に迷惑かかる事にならないだろうかとか考え過ぎてしまう。 一歩足を踏み外せば落っこちてしまう状況の岩肌をしがみついて登っているみたいな気になる。命綱は多分付いてるんだろうけどいざとなったら本当に機能してくれる?って思っちゃって怖い。身体が見えない何かに押し潰されそうな気になる。胃がギュッとなる。 ちょっとずつ、ちょっとずつ積み重ねていけば、少しは今の不安というものに慣れる事ができるんだろうか。 朝起きるのがちょっと怖い。