思いをのせるこころノートには、自殺についての思いが投稿されます。
ここに書かれているのは、普段心に秘めているそのままの言葉です。
Hello. My twin brother and I have been subjected to Feto political prosecutions and political trials. We have been subjected to human rights violations since 2017 and we are still being subjected to human rights violations. We are subjected to discrimination, marginalization and discrediting. For these reasons, our right to life and freedom are under threat, risk and danger. My family (my mother, father and sister) have also been and are being subjected to discrimination and marginalization because of what has been done to us, “claiming that we are Fetoists as a family”. (I am not gulenist, I am not terrorist, feto is real terrorist organization) My father is made to work for less than half of the minimum wage, one-fourth of the hunger limit, just because they know he has to, he has to work to avoid starvation, he is made to work 12 hours a day without overtime pay, they exploit our difficult situation, he is subjected to this treatment to survive because they claim that we are “conspirators”. Me, my twin brother and my brother are never given a job. We don't have a house, and when tenants find out about our situation, they either try to intimidate us by demanding ridiculous amounts of rent, or they forcefully evict us. This is what they put my family through. We meet all the requirements of your legal system for asylum. We want to seek asylum as a family. We have waited for years for the help of the international community, 8 years have passed and we can't take it anymore. We have decided to commit suicide en masse, because we have no hope. This is the last branch we will hold on to. If you ignore this email, when we end our lives, we will send emails and letters to the international press about who we have asked for help and what answers we have received, and we will let the press know what we have been through. In order to get asylum, we need a visa to the country. We can't even get a tourist visa for any country, we don't meet the requirements, because we don't have any savings. So we are waiting for your help - with one last hope - to get a visa, please help us get a visa. We don't have the mental and physical strength to endure anymore. We all suffer from PTSD, we suffer from severe chronic depression and severe anxiety attacks, we cannot leave the house, we have become obese due to these reasons. We are about to commit suicide. We will commit suicide as a family. Help us to seek asylum. Help with plane tickets to Japan. My siblings and I are university graduates, I am a biosystem (agricultural) engineer, my brother and sister are pedagogical counselors, my twin brother is an economist and has a background as a health inspector. My father was an accountant for years. Now he has to carry, place and deliver loads, even though his arm is crippled. I am a pantheist, my brother and twin brother are deists, atheists. Now me, my brother and my twin brother are not Muslims, so we have nothing to fear. We are now experiencing an identity crisis, we don't feel that we belong to this country. We can't take it anymore, please take care of our visa procedures. Save us. Translated with DeepL.com (free version) signature: 12c1d367404ad7be3d3419f7fe39979ecfb14588
死にたいw
SNSでやりとりしてた最低な男へ。 どうしてアンタに最初から直接メッセージを送らずにアンタの知り合いに言伝を頼んだのか言ってあげます。 アンタとやりとりしてる間、アンタからは気持ちのこもった返事が一切無かったからです。 「あー・・・」とか「???」とか。 「それ「は」受け取った」とか。 それ「は」って何ですかー? 結局は私の事が鬱陶しかったんでしょ? そうやってはぐらかすような返事ばっかりするからこっちも避けるようにアンタの知り合いに言伝をお願いしたんですよ。 そしたらやっと「最初から俺にメッセージくれればよかった」って。 はあ? どうせその知り合いを通して言わなかったらまたはぐらかすような返事をするつもりだったんでしょ? 何が「最初から俺にメッセージくれればよかった」だよ。 初めからハッキリ答えるつもりなんか無かったクセに。 ほんとムカつくわ
1月になると無意識に自殺を図ろうとする 寒いし 薄暗く 引っ越してきた時 子供もおらず ふらふらと歩いていたら 駅について号泣していました また 湖があり自転車で寒い水につかってしまおうかと行ったこともありました 子供のころはクリスマス お正月 楽しくてしかたない また 母が手作りのおせち料理が楽しみで 大人になって 一から手作りをして その準備がわくわくして しかたなかった 今はできないのが少し残念におもうけど 恵まれている 子供が ふと 団欒がないと テレビの音が団欒?話せばいいのでは?と つぶやいていた さみしく思う 料理が大好きでお菓子作りも だけど 食べてくれる人はいない気がする むなしいな など感情がわいたとき 最近 小和田 恒さんの動画を拝見すると背筋が伸びて 昔 きちんと 掃除 片付け 整理整頓を完璧にしていた自分を思い出す 本が1ミリでもずれていたらきちんとそろえるほど几帳面で 母も関心していた 今は病気のせいで全くできない おこがましいことですが 私は東京で生まれ 国立の幼稚園に行く準備を していましたが 兄がなくなり 父が東京で勤務していたものの 兄の死をなかなか乗り越えれず 環境をガラッと変えるため関西に仕事場を 変えました こんな話はほとんどしたことがないため 友達には大阪出身だと 思われています どちらの地域も好きです 一度 東京に行ったとき 官舎の近くを通り なんとなく父と同じお仕事を したいし 一緒に働けたらと幼い頃は思ったことがありました 大阪にきて 妹が生まれ 父も激務から解放され 4人で楽しく暮らす日々が 続きましたが 父が亡くなり 勉強もやる気がうせて 母と確執ができ 無気力にすごしていました 母のなかでは国立の学校へいき 阪大の医学部へ 行かせるという考えがあり レールにのるように勉強しましたが 医師になる気もなく ただ 医学でなくても食 食べ物で病気を防ぐことは できるのではないかと進路を変更しました 夫にいろんなおいしいごはんが あることを教えてあげたいし ばっかり食べを治せたらと密かに思っています 息子は私が学生の時に進みかけた道を目指すようで彼ならばできると思っています 息子は大学院をでて 小児がんの研究をしたいそうで 大学10年間 医学部6年 博士課程4年の学費を賄えるだろうか? 白衣 聴診器代100万 専門書1冊だいたい10万 なんとか支援して夢をかなえてあげたいし それができる子だと信じています 私自身は 行政書士を目指しています それは 単に 自分の病気と向き合え 自由がきくからです 正直 夫と老後の生活費を少し稼げたらそれで 十分だと思い 心折れそうな日もあるけど少しづつ頑張っています 夫は家族のため 育児に始まり頑張っています 夫自身も義理のお母さんから あの子も病気だから頼みますとお手紙に書いてあり心に留意しています 母親は息子というものは死ぬまで心配だと。私もです なので 定年後はゆっくり 昼寝をしのんびりすごしてもらいたいなと 今私はその準備を少しだけがんばっています 家族のだんらんがあれば 自殺を図る想いは薄れていきます あたたかなものを想像することによって。 父と税法なり法について 天国に行ったときはお酒を飲みながら話教わりたいです あとは バカな娘になってしまった事を詫びたいと思います 仕事を変えあたたかな家庭にしてくれた事に感謝と 残りの人生を良きものにしたく 冬の寒さに負けないように生きれたらと思います
毎年1月に自殺を図ろうとしてしまう はじめは 寒くて 薄暗くて 友達もちかくにいなくて 子供もいなくて 昼間 1人でいる時間がつらかった なんとなく ふらふら 歩いていたら 駅の前で1人号泣していた そんな嫌な冬がくる 子供のころはクリスマス お正月と わくわくするイベントがあり楽しくてしかたなかったし 家庭人になっても みんなで実家にあつまり母の手作りのお料理と 私が毎年楽しみでしかたないおせちづくり。 しばらくはしていないな もう 私のお手製のおせちを作ることはないのだろうか 食に関する事 料理がとても大好きなこと 子供に食育をしてあげたかったこと とてもいい台所をもっている ケーキを焼く事も野菜いっぱいの料理も 作ること 食べる人もいない この地域にいるとかなしさ むなしさにさいなまれる 団欒がないと子供がさみしそうに言っていた 恵まれているのに。 最近 小和田 恒さんの動画を観たら 死にたいなど そんな感情は薄れて 背筋がただされ 整理整頓 片付け 掃除 なんでも完璧にこなし すごく几帳面だった自分を思い出す 本が1ミリいがんでも許せないほどの 整頓ぶりで 几帳面な母が関心していた 何故 小和田さんというと おこがましいことだけど 東京で生まれ 官舎に住んで 兄がなくなり 環境を変えるため 大阪に引っ越してきた 実は関東の生まれなことはほとんど話さない そして父が東京で学生生活をし試験にとおり勤務していたことも 私が物心がついたときは神童と言われ国立の学校へ行く準備をし 幼稚園も受験し 父と同じ仕事をするんだと考えたこともあり 小和田恒さんの言葉には胸にささる時がある だけど 目標としていた父が亡くなり一切勉強をしなくなり 父の職場では学閥があり子供も国立の小学校 帝大にいくのは当たり前な世界で でも 私は 家にも帰らず 母との確執は深まるばかりで 教育熱心な母はせめて大阪大学の医学部へ行ってほしいと。 もうそんな時は勉強なんてする気はうせていた 今 こどもが同じ大学へ行きたがって大学院も行きたがっている この子の10年間の大学生活 専門書 1冊最低でも10万はするようで どこまで 支援できるか また 予備校代に200万かかる 夫婦2人の生活はどうなるかわからない 退職金は家のローンの相殺になるのか 行政書士になって みんなを養っていくためだけに 毎朝早朝に起きて勉強をはじめた だが 体がしんどい ガンガン働けば普通に年商1000万もむつかしくはない でも 私は 今まで一生懸命働き私のわがままや病気を 受け入れてくれてくれている夫にゆっくりやすんで何にもせず 昼寝をし気楽に生きてほしいと願っている その分の生活費を稼ぎたいだけで それだけでいい なぜ 士業を選んだには理由があり 1つの仕事で20万くらいもらえるので それで十分かなというのと しんどい時は事務所を閉めることができる し 嫌な客はこちらから 断ることができるから 実際 女性の先生はほとんど家庭 子育てがありそんな働き方をしている 私は10年間ほどおせち料理を手作りしていた 買い物 料理 とても わくわくして楽しかった もう それはいつになるかないのかわからない 私が切に願うことは 団欒という あたたかなものが あれば 自殺という 言葉すらうかばないだろうと思う あとは 志半ばにして亡くなった父を思うと 姿勢を正し 病気になっても 頑張って 自分の出来ることを頑張っていかないと 本当にできることは限られているけれど生きないといけないと思う 天国へ行った際は 国の財政を動かしたいと野望に満ち溢れていた仕事熱心な父と 税法なりの法についてこんなにバカな娘になってしまったけど一緒に お酒を飲みながら いろんな話をしてみたい 私がスターバックスとセブンイレブンの前の道路でひかれる寸前にたすかったこと 臨月で走れず車すれすれで親子(私と息子)共々亡くならなくて済んだこと きっと守ってくれたんだと信じて親子ともども生かされています 頑張って自殺するという感情が出ないよう努力して 残りの人生を良きものにしたいと思います いつも 感謝しています わがままを言えば 早く逢いたいです
とある所に住んで15年 毎年冬はうつに悩まされる そんな時 誰とも話さない日々があり つらくて地元に帰りたいとなんども泣いた 身内はいない 家族もいない 寒い中 耐えて過ごすしかない 医師から光療法を勧められるが 効果はないと思う あと 方言で気さくに笑ってしゃべり倒したい 店もない 気持ちが沈む街だと感じる 来た当初は駅舎の前で1人号泣していたこともある 唯一の宝物を大切にしてきたけど もう手放すころになったのか? 意思表示のないままでもやっとした感情になる パートナーの機嫌を考え何回も考え直す ただ 1人になれば どのみち どこへいっても同じ気分になるのかもしれない 昔いったカフェ 買い物 どれをとってもきらびやかで 光なんか そこへいけばいくらでもあたる 若い頃なんとなく生活が嫌で1人で物産店へいき一人でご飯をたべた なんかつらかった 考えをかえればいいだけなのだが 15年間 狭間で悩むことがたまにある なぜ この地域で自殺をよく考えてしまうのかがわからない やはり家族との笑いあう団欒があまりないからかもしれない 自分の思いなどを主張できないストレスもあるかもしれない もう ええんちゃう ともだちといっぱい気兼ねなく 話しをして笑い転げたい