思いをのせるこころノートには、自殺についての思いが投稿されます。
ここに書かれているのは、普段心に秘めているそのままの言葉です。
転職失敗しました。 一般企業に勤めてたけど、昔経験した介護職が楽しかったのもあり、資格も取るために転職したけど、自分に全く合わなくて数日でやめました。 時間が経つと自分の考えや価値観が変わってしまうことに今気付いたけど、もう手遅れ。 48歳のなんの資格もスキルもない女を雇ってくれる会社はありません。 介護職場を思い出すだけで動悸と吐き気します。 でも世の中介護ぐらいしかありません。 死にたいです。安易に転職を考えた自分が間違ってました。死ぬので許してください
私が死んだらホッとする人のほうが多いだろうなという事を考えるとやるせなくなる。生きて行けてたはずだ。多少幸せにもなれたはずだ。正しく医者の指示に従って入院させてもらえていれば。少なくとも病気で仕事も解雇されて自殺未遂を繰り返してしまうしかない状態の人間を疎ましく思い暴言を吐いてくる家族からは離れられたはずだ。そんな連中が私が死んだら周りから同情されたり、多少なりとも悲しくなりそうな気がしてきて反吐が出る。 他殺も自殺もせず、拭いきれない過去への気持ちがせり上がってくる日々であっても、何か掴み取っていかなければならない。心が死ぬ前に。
酷いことをしてきた連中の相談をした。話の流れでとうに生きて居ないかもしれない人間に振り回されるのは不毛という話になった。生きてるのか死んでるのか正確な処は分からないが、大笑いした。ああ、そうだあんな連中が、生きていて良いはずはないのだ。どっかでバチが当たって死んでいるのかもしれない。善良で死ぬべきではない人の代わりにそれら運命が降りかかって代わりに死んでいるといい。せめてそのくらい役にたて。人の目がない処で障害者虐待してきた能無し給料泥棒の屑どもめ。もし生きていたら法律の限りを使ってお前らがやってきたことを世間にしらしめてやる。
もう無理です 何もできずに死んでしまうのも悲しいですけどもう無理です 死にたい気持ちでいっぱい
「何かあったら話聴くよ。」いつからこの言葉を私はもう何年言えていないだろうか。自分の事で精一杯で正直人の事まで手に負えないのだ。それともその程度の付き合いしかなかったのだろうか。なんだか本当に悲しい誰かに愛されないて無いことも悲しいが、自分が誰のことも愛していないのが誰のことも気にしていないのが悲しいのだ。
自分でどうにもできないことを我慢し続けていることがしんどくて、どうすれば幸せになれるかずっと考えています。死ねば無になるから幸せになれるのかな。私はこれ以上我慢できるのかな。しんどい。