思いをのせるこころノートには、自殺についての思いが投稿されます。
ここに書かれているのは、普段心に秘めているそのままの言葉です。
駄目だ。やっぱりすごく辛い。振り切るとか無理。 今、行政の窓口に成ってくれてる人が、話をちゃんと聴いてくれて、昔の障がい者施設の職員の対応におかしい。酷い。と言ってくれる程、なぜ今なんだと思ってしまう。なぜ今なら助けてくれるんだと思ってしまう。40越えてからどうしろっていうんだ。 当時、ちゃんと生活というものを与えてくれたなら、結婚とか子供とか間に合ったかもしれないと思ってしまう。 なぜ、生活がままなって無いという話をしようとする時に怒鳴られなければならなかったのか。萎縮するとは思わなかったのか。 そんな色々が、怒りとか悲しみが今の状況だと止まらない。滲み出てくるし、吹き出してもくる。 ここで吐き出させてもらいながら、なんとか今の状況をしのごうと思う。 前に進みたい気持ちも絶対にあるのだから。
学校がとにかく辛い 学校がだけじゃなくてこの社会で生きていく事自体辛いのかも 今日親友を心中に誘ってみたけど断られちゃった 嫌われたらどうしよう というかイジメられてもないのに辛いとか言っていいのかな 死にたいんじゃなくてこの世界で生きたくないだけ なのに何で誰もきずいてくれないんだろう こんなに悲しい気持ちなのに 明日起きたら死んでないかな だけど死ぬのわ怖いんだよな 矛盾だらけのダメな私をだれか必要としてくれ 多分それだけで生きる気力がわいてくる、、、多分
過去に、あの糞女共の仕事に、今を喰われてなるものか。 クソがーーーーー!!! 私もいつまでも思い出してんじゃねーよ!バーカ! 今だよ、今!!これから!! やってくしかねーんだよバーカ!!
悲しいなあ。 すごくすごく悲しい。 人に生活に介入されなくてもなんとかやっていけるように、あの劣悪な環境で屈辱に耐えた筈なのに。 ああ言っていたら、こうしていたらと今考えても仕方ないけれど、あれ等は本当に酷い対応だった。 いつか専門家の力を借りたりしてちゃんと抗議したい。本当に本当に。 自分の事を大事にしてと言ってくれた人がいたけれど、そうできたら良いなと思う。 これから生活が大きく変わるのが待っている訳なのだが、それに対応していく事でこういうどうしようもない悔しさとか悲しさとか忘れてしまうような気がする。それでも良いのかもしれないし、そうでもないかもしれない。 少なくとも今は力を付けていきたい。生きていく力を。
いつかどーんと時間を取って過去の事を書き出してみたい。 今やると辛いばかりだ。 過去は変えられないのだから。 でも今からは変えられるのだから、やれる事をやる事に集中するのが先だろうな。 そうしてると色んな事を忘れていってしまいそうだけど、それはそれで良いんだろうか。納得はいかないが。 シンプルに悔しい。忌々しい。〇〇〇〇してやりたい。 そういう訳にもいかないから今の事を大事にしていかなければなあ。 ああ、頭痛い。くそめ。
考えてみれば障がい者施設のセンター長も私の担当も糞だったが、センター長は人間性に問題大有りでも多少は使える能力はあった。少なくとも担当よりは。担当の事なんかガン無視してセンター長と話を進めておけばよかった。誰に相談を話しても良いって事だったんだから。 担当に話せと言われたら「怒鳴ってきて話に成らないので無理です」と普通に言っておけば良かったんだよなあ。 決まり事を守れない人間として見られて、それが今後に悪影響があるのではと思ってしまったのだから仕方ないしもう過ぎた事なのだけど。 良いか悪いかではなく、どっちがマシかで選ばなければ成らない場面で読み違えてしまったのかなあ。 センター長はべちょべちょした人間だったから関わりに成りたくなかった。 少なくとも糞な二つの存在が私の人生と関わり合いが無くなって心底ホッとしているのは確かだ。 今後そんな人間に出くわしたら、怒鳴り散らすとかして応戦しなければ成らないと先に進めない時もあるんだろうか。 何年か前に具合いが良い時に勤めていた職場に怒鳴ってくる上司がいて、怒鳴り返したら「まあまあ」と下手に出てくる事があった。 ああいうのは一種の甘えなんだろうか。 そういう品性の人間の居ない職場に勤めたいものだなあ。 居たら居たで、態度とか表情で壁を作るしか無いんだろうか。 めんどくせぇ。