思いをのせるこころノートには、自殺についての思いが投稿されます。
ここに書かれているのは、普段心に秘めているそのままの言葉です。

✾きの

10代以下|女性

もう疲れた。家にいたくない。母は自分が全てにおいて正しいだと思っている。

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明日

40代|女性

生きていきたいなって思えてる日常で寝てる最中に死んでしまいたいなって思う時がある。痛みも苦しみも無く。 死にたいって思ってる時に死んじゃうのって悲しすぎるから。 生きたい筈なのに死にたいって思ってる。 山の中とかで死んでしまって、自分の身体が土に還っていく処を想像すると妙にほっとする。ああほんとに悲しくない時に死にたい。そんな事を考えてる自分が寂しい。悲しい。辛い。

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明日

40代|女性

 交番に姉を殺してしまいそうだと相談に行ったことがある。詳しく話も聞かれずそういうのは親戚間で話し合いをしてくださいと言われた。他害の恐れありで強制入院させられても良いという気持ちで行ったのだが。  交番に警察官に人を殺してしまいそうだと言いにくるハードルの高さを考えて欲しかったな。  こちらは病を得、自殺未遂を繰り返しながらもどうにか生きていかねばと必死に仕事に付いても解雇等されていたものだから、自立できるほどは稼いでいなくてもバイトでも一定収入のある姉は私より上に扱われていた。  子供の頃から母親から姑との愚痴を聴かされる事や家事を手伝わされるのはほとんど私であった。  相部屋だった為こちらが就寝中でもパソコンをカチャカチャやられるのは堪らなかった。仕事ならまだしも趣味ともなると。そして具合いが悪くても家事は手伝わされ姉はやらされないですんでいた。さらに自分がやりもしない家事に対して口を挟んできた。自分でもやってくれと言ってもやってはくれなかった。我慢ができなかった。  障害者施設に行っていた時思ったより普通の人達が多くて驚いた。長時間労働を強いられて統合失調症を発症した方等状況は様々だった。皆結構良い人達だった。もちろん嫌な感じの人も居たがそれはどこにいても同じであろう。  それを思うと適切な時期に精神科に入院というものができていたら、それはそれで人とちゃんと関われて居たのかもと思ってしまう。今、それなりに社会での居場所、人間関係、生活というものがあったのではないかと。ただ、もっとひどい目にあっていたかもしれないし一概には言えないのだけども。  ちなみに姉は私から水をぶっかけられた程度で生きている。姉自身も失職等から精神的な病を得た後妙にこちらにへつらってくるのが笑った。もちろん相手にはしたくないので避けている。あちらは一人で暮らしているし、行政のサポートも受けているし自分でやってって欲しい。もうそうそう会うこともないとは思う。  今、自分の健康状態はあまり良くなく今後ようやくちゃんと行政のサポートを受けられそうである。その話し合いは進んでいる。酷い担当に当たらなければ良いのだが。  正直色々怖い。悲しい。寂しい。辛い。  それでもやっていくしかない。多分きっとどこかに活路はあるはず。少しづつ少しづつ。    

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ブブ

30代|男性

長崎の僻地の貧しい家に生まれて、高卒で働くものだと思っていたのですが運良く勉強ができたので大学に進学しました。そこで研究をはじめて今まで博士課程をやってきましたが生活がたち行かないうえ親にも申し訳ないので自殺を考えています。婚約者がいましたが留学で振られました。自分は30歳にもなってカスみたいなバイト代みたいな給料で食っていて本当に毎日毎日ごみみたいな状態です。著書が出る予定が決まったのでそれは完成させたかったんですがもう何かがぷつんと切れてしまいました。でも本当に頑張ってきたのになんの意味もなく金にもならず、果ては恋人にも振られて本当に自殺したい以外の感情が浮かばなくなりました。本当にたすけてほしい

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明日

40代|女性

子供の頃から自分の家が周りとずれているという不安感から周りに気を張り気を使う事が多かったせいか、中学でもう人にはウンザリしていた。20代はなんとか社会の中で生きていけるように必死にやったがうつ病を発症してから様々な診断が出された。過適応とも言われた。初めて知る言葉だった。おそらく自分は仕事も結婚も子供も持てないのだという絶望感から何度も自殺未遂した。皮下脂肪が見える程肌を切り開いてしまったことも、首を刺してシャツが1枚血まみれになったこともあった。2度目の解雇にあったあと精神科医にもう限界だと訴えてもやっていくしかない的な事を言われもうどうしようもなかった。大量服薬して救急搬送された。精神科に入院させられることもなく迎えに来た家族に引き渡された。看護師に「精神科に入院とかは」と聞いたが「そのままお帰りになれますよ」と言われたのをぼんやりと覚えている。その後数年本当にどうすればいいのか分からなかった。どうにかしなければと毎日、毎秒考えてどうにかなりそうな程不安になるのだが解雇に合う恐怖にもう耐えられなかった。次に面接に行って落とされたら発狂するだろうと思っていた。電車に飛び込むとかしていたかもしれない。  そんな日々の中でたまに窓から見える梅の木を見ていた。私がこんなにも生きられていないのに、毎年咲いて散って咲いて散ってを繰り返し生を謳歌していた。  そのどうしようもない現実が、ああ私はこの状況に対応していくしかないのだなと思わせた。そしてこれは長期戦で行くしかないのだと腹を括らせた。一歩一歩やっていくしかないのだと。焦って頑張って失敗したら今の状態ならまた自殺を選ぶなと思ったしどうせ死ぬんだったらここで時間を掛けたって良いだろうと。どうせこのままでは生きることもできないのだからと。ただ、あまりに冷静になってしまったので行けることになった障害者施設では非常に軽症扱いされ今までの状況の聴き取りもずさんで作業させてもらえる様になった初日に「貴方はもう外で働けるんじゃ無いですか?」とまで言われた。こちらの状況を説明してもたんに挑戦を怖がっているだけの様に扱われた。数年の人間とは言えない生活を送ってきて訓練も無しに直ぐに働くのは無理であるとまで訴えたが「ここを使いたくても使えない人も居るんですよ!」などとも言われた。知らねーよ。入院という分かりやすい経緯、自分に依存してくる状態の分かりやすい利用者ばっかじゃねーんだよ。と今なら言ってやれるのになあ。家族から見放されそこしか頼る処がない人間が福祉オンブズマンとか使って施設側に抗議なんか出来るわけ無いだろ。怒鳴られたりもしてたんだから。どんな目に合わされるか分からないのに。弱い立場が恫喝されて恐怖に縛られれば湧いてくるのは信頼じゃなくて恐怖による、へつらいだよ。そんなこともわかんねーのかよ。とりあえず血の滲む努力で気力体力をつけてそこは逃げるように卒業出来たけれども、その後食べていけるまともな職には就けなかった。親からは暴言をはかれ脳が削れるように疲弊していたため生活保護を受たいのだと相談しても担当者の自分と自分の父親の確執の話にすり替えられていき親子なんてそんなものという明後日の方向の話に置き換えられた。仕方がないのでセンター長に話を持っていったら「親元に居ても自立は出来ますから」と言って取り合ってくれなかった。まともな親元に居られるならこんな話はもってこないのだが。考えるとこのセンター長が諸悪の根源だったなあと思う。市役所に相談に行ったらこのセンター長が話を聴きに来てくれたのだが、初対面でなんとなく感じる胡散臭さがあった。しかしとにかく今の状況を助けて貰える場所を確保したくて、ニュース等でたまに障害者施設で虐待が有りました等の事が頭をちらつかせて恐怖感を感じながらも、とにかく具合いが悪いのだと言う事を理解してほしくて数年の引きこもりで上手く話せない状態でも一生懸命話した。そしてやる気はあるのだと言う事を理解して欲しくて軽い仕事からと言った。それに対して「お姫様じゃないんだから。」と言われた。私は(何言ってんだコイツは)思い反射的に睨んでしまった。そうしたら目を泳がせながら「とにかくウチに来てくれて良いですから」と、とっとと話しを切り上げられてしまった。何度も自殺未遂してることや何度も解雇にあっていることや家族からは暴言をはかれている事などは伝えられずじまいだった。そのせいで軽症扱いされて散々な目にあったような気がする。担当者には現状把握して欲しくてちゃんと伝えようと相談の予約を取って聞いて貰おうとしたらなぜか、なんでもかんでも聴ける人間は居ないんですよっ!とか怒鳴られた。自分が施設の利用の仕方説明しないから事前に声かけて聞いただけだろ。それお前の仕事だろ。他の障害者施設の催しに連絡なしに勝手に行ってしまって良いのかと聞いて確認取るのはおかしいことなのか?相談予約の前にとっ捕まえて話聞かせたりとかしてねーだろ。バチバチに化粧する暇があるなら寝るか勉強しろや。  そんなこんながあったけど今のセンター長はまともに仕事する人で助かっている。なので相談所部門には利用者としての登録を続けている。前のセンター長と担当者はどっかいった。余りに信頼ができないのでこことは距離取りますと言ったら「待ってますから」と言っていた担当者が1年後にはとっとと辞めてたのには笑った。他の職員さんに「ここの事TVとかで話してるかもしれませんね〜」って離れる前に言っといたのが効いてたりしたのかな?もしかして?自分に酔ってて後ろ暗い処もある人だったのかな。前センター長時代にグループホームで孤独死を出していたと後になってから知った。話し合いの際に「キレてもいいのよ」とか言われた事もあったがキレるのは相手に多少なりとも人間らしさが感じられないとおこらないものだなあと思う。それに自分の障害に対応するので精一杯な人間からキレされるという行為で気力体力時間を奪わないで欲しい。余計に治りが遅くなるだろ。今考えれば自分はキレているのですよ!というアピールでもしといたら話はもっと進んだのだろうかとも思う。なんとかとハサミは使いようというやつだろうか。しかしその時は本当に施設に来て訓練する以外の事が出来る考えられる余裕なんてなかった。センター長は女性であったが「夜に電話してきてもいいから」とか言われたのもなんというかベッタリとした不気味さがあった。夜って個人番号にですよね?気持ち悪い。あの時と比べると市役所の障がい福祉課も職員の数もスペースも増えて良くなってきたかとも思う。具合いが悪くて働けなくて家族との中も悪いという相談をしたら見下した様に「食事の支度とか自分でして無いんじゃないてすか?」と言ってくるような当時の職員の様な職員には最近はまだでくわしていない。台所が一つしか無くて食費も出せなくて身体も上手く動かせないんだからそこで揉め事がなかったわけ無いだろ。世間知らずめが。  とりあえず生きてる今に感謝しといて今日も頑張ってこー。疲れた時は休んで一息つきまくる。これからは絶対無理なんてしてやるものか。

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30代|男性

死んで良い命 死んじゃダメな命 簡単に言わないでよ 足が竦んで 未来なんか見れなくなった ごめんなさい 生きてる方が辛いなんて そんなの世界を 嫌いになりたいのに 嫌いになれない でも好きにさせてくれない ごめんなさい 君たちと生き続けたかった。

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