思いをのせるこころノートには、自殺についての思いが投稿されます。
ここに書かれているのは、普段心に秘めているそのままの言葉です。
こんな日は堪らない。ボロボロの自分の心をなんとかありあわせの物で形にして、思い描いた未来や幸せとは違ってしまっていても、ささやかな喜びや幸せをチマチマと集めて保っている心を赤の他人に土足で踏み荒らされる様な日は。そして簡単に傷付いてしまう自分の弱さが。いつかはこの人生も良くなる日が来るんだろうか。自分で歩いていくんだよと人は言うけれど。気を付けないと何もかも無駄だったのだとさへ思えてくるのが始末におえない。全部が全部そうじゃないはず。状況は徐々に徐々にしか好転しない場合もあるって分かっている。やれることをやれるようにやるしかないって分かっている。折れないように少しづつ少しづつ。それしか出来ることなんてない。厳しい道のりだろうかな。泣き喚きながらもやるしかない。そしてやりたいはずだ。自分は。
過去の自殺未遂の事を今後の生活の為に人に話さなければならない事が最近あった。中々酷い事を言われた。歩いて通院出来てたんですよね?だと?気が狂いそうな処ギリギリの処でなんとかならないか努力してたんだよ。そして発狂する前に死んでしまいたかったから自殺に至ったんだよ。医者には頑張れ頑張れ言われて追い詰められたんだよ。医師免許持ってるだけで精神科医は神でも無いし、高尚な思想持ってる存在とは限らないんだよ。勉強熱心じゃない医師も居るし。簡単に決めつけんなよ。家族が入院させてくれなかったこと、それに関して話し合いも何もなかった事に怒っちゃ悪いか?成人してたんでしょ?ってなんだよ。成人してたら自分でいつ退院できるかどうか分からない入院という選択肢を精神科に入院するという選択肢を躊躇なく選べるのかよ。金が無い金が無いという相手に入院させて下さいって言えるのかよ。見限られて死ぬまで入院してろって言われるかもしれないのに腹くくれるのかよ。なにかあっても言われるのが「自分で選んだんでしょ?」って言われるに決まってんだよ。うちの家族は。もし退院できたとしてもネチネチネチネチと金が掛かった金が掛かったお陰で愛犬に良くしてやれなかったとか言われるに決まってんだよ。なんにも知らないくせに知った風にほざくな。少し事情を話したら気まずそうにするなら最初から黙っていろ。沈黙は金。自分の正義感酔うな。馬鹿野郎。
借金がありもうどうしょうもなく。雇われの給料じゃどうしようにもなく、カードの支払いはおろか闇金から借りもうどうしようもない状態。嫁にも辛い思いばかりさせて・・・ 死にたいです
死にたいんじゃない。苦しみを終わらせたいだけなんだよ。だってこんなに一生懸命生きてきた私が殺すのが自分自身でもなんで殺されなきゃいけないんだよ。そんなのやだよ。でももう悲しいのも苦しいのもやなんだよ。でも死にたくはないんだよ。負けたくはないんだよ。でも悲しくて寂しくて怖いんだよ。きっと思ったように生きられない。やりたいように行きられないかもしれない。それでも生きていけますように。死にたい気持ちに覆われて囚われませんように。こんなにもこんなにも傷付いても生きてきたのだから。幸か不幸か何度も自殺に失敗したのだから。どうかあまりにも悲しみだけにとらわれませんように。少しずつでいいから。生きていけますように。生きていけますように。完全に死にたい気持ちがなくならなかったとしても。
腹が痛い。精神的なストレスが子宮をキリキリさせてくる様になってきて、しんどい。 昔の事でなんでこんな体調にさせられて時間取られなきゃいけないんだろう。その相手は素知らぬ振りでのうのうと生きてるんだろうなとか思うと本当に怒りが湧いてきてそのうち無気力になる。法的な専門家に相談もしたが出来ることはほぼほぼないが全く無いわけでもない。それをするにしても時間と労力と金もかかる。自分が望んだ結果になるとも限らない。いい加減なろくでもない仕事をされた側がなぜここまで人生を破壊されなければならなかったんだろうか。こういう日は処方薬を飲んで1日寝て無駄になる。こういう時はいつか必ずどうにかすると思うと少し楽になる。いつか正義が果たされる事を願って今日は休む。
やらなきゃやらなきゃって気持ちがいっぱいになって、不安になって疲れて、頭の後ろから肩にかけてグッと重痛くなる。いっぱい努力したのになんで上手く行かなかったんだろう。精神障害者を助けますって施設でなんで担当者と最初の一対一の相談で「なんでもかんでも聴ける人間は居ないんですよっ!」とか怒鳴られないといけなかったんだろう。なんで担当者の人生の苦悩とか話されないといけなかったんだろう。相談時間は何分くらいの心づもりで居ればいいのか確認しましたよね。なんで初っ端で話始めた処で怒鳴るんですかね。信頼関係なんか貴女と出来るわけ無いでしょ。はなから来るなよ。こういう仕事に。父親が横暴だったとか知らねーよ。自分の問題と利用者の問題ごっちゃにしてんじゃねーよ。私は自分がまともな育てられ方したとも生き方がまともだったとも親がまともだったとも思えないから、とてもじゃないが精神に不自由さを抱えてる人の助けになれるなんてとてもじゃないけど思えないよ。精神障害者を助ける現場は、いわゆる普通の家庭ではない処で育った自分を一般社会で感じる、扱われる異質感から逃げ込ませる為の場所じゃないよ。人生、人間関係、家庭環境で辛い経験したってだけでつとめられる仕事じゃないよ。利用者の状況に自分の人生重ね合わせないでくれよ。ケースバイケースだろ。そんな担当に当たったせいで未だにこの状況を公的に支援してくれる担当者と会えてないよ。その状況に対応しなくちゃいけなくてストレスで糖尿病も発症したよ。そんな人間が精神障害者に近くに居続けられる今の国の制度に失望して、変えたいなら自分で動くしか無くて、でももう思い出したくも無くて、でもその過去のことが今の状況に影響してて、いつ終わるんだこのループ。ってなって結局有耶無耶になって何もしない出来ない自分が嫌になって死にたいってより無気力になってぼーっとして生きてんだか死んでんだか分からない状態になる。頭も悪くなった気がする。もう終わらせてくれと、死んでたまるかが振り子のように行ったり来たりする。他力本願に精神障害のケアの充足化が進みます様にと願って今日は寝る。