思いをのせるこころノートには、自殺についての思いが投稿されます。
ここに書かれているのは、普段心に秘めているそのままの言葉です。
2021年、7月15日に発達障害のある一人息子が自死しました。21歳の誕生日を目前にし自死しました。たった一人の家族であり、かけがえの無い息子でした。 それ以来、私自身に慢性的な自殺念慮があり、自殺企図も何度かあります。 鬱病、PTSD、解離症になってしまいました。今も喪失感に呑み込まれそうになりながら今日一日を生きています。 しかし解離症で普段は飲まないアルコールを飲んでしまったり。 息子を産んだ病院まで記憶なく訪ねて行ったりしてます。 まだ悲しみの渦から這い上がれません。 毎日毎日が同じ事の繰り返し。 自責の念、喪失感、希死念慮。。。 心から笑うことも皆無で。 鬱病でリハパン、パッド生活になりました。 早く死ねたら。 あの世があるなら。 息子に逢えるなら。 死は幸いです。 息子に逢える時があるなら謝りたい。 次に生まれ変わりがあるなら、私なんかの元より、幸せになれる家庭の子に生まれ変わって欲しい。 毎日が生き地獄。 早く楽になりたい。
つかれた。 もう消えたい。
全部一気に上手くいくといいのに。 これだけ我慢して我慢していたことが、ちゃんとちゃんとなっていくと良い。少しづつだろうがなあ。
父親に言ってやりたいことはごまんとあるのだが、やっとこの異常な家から安全に離れられそうなのだから、それは出来ないなと思う。言ってやりたいことは溜まりに溜まっているのでそれらの蓋を開けてしまったら精神状態がどういう結果になるか分からないから。言った処で過去は変わらないとか、父親の態度に我慢が出来ずに予想不可能な展開に成ってしまったりとか。 先ずは安全に異常な状況の異常な倫理観の人間達から離れる事である。 賃貸を探しているが今は生活保護を受給している訳では無いので、難しいかもしれない。その場合はしばらくの間は無料低額宿泊所に行くことに成るのだろうと思う。 そこから先は、障がい者のグループホームに入る事になるのか、賃貸を探す事になるのか、どうなるのかは生活保護のケースワーカーが私の状態をみて判断する事に成るのだろう。 とりあえずは積年の恨みで両親を殺すとかの危険性からは離れられるのだから、殺人で刑務所行きとかに成らずに済むのだから良しとしておく。
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたいもう生きたくない生きるのは辛いたかが18年とかそんなんどうでもいいもう嫌生まれてきたのなら簡単に死ねる権利だってくれよなんで生きるのが当たり前なんだよ毎日鬱陶しいだの消えろだの言われて誰が生きたいって思うんだよ誰も助けてくれないじゃん死にたいなら死ねば?って言うじゃん相談してもそれは虐待じゃないとかなんだの。話聞くだけの奴らばっか。助けるって知ってる?助けてよ。裏切らないって言ったじゃん。なんで裏切るの。嘘つき裏切り者ばっか。なんで私なんか生きてるわけ?なんで鬱陶しいなら私を産んだの。私は幸せそうだとか決めつけんなよお前らの想像の何倍も生きづらいわ助けてくださいよ。相談窓口も22:00とか24:00までそんな時間に病まねぇよ。病むのは深夜の2:00とか3:00だよ朝になったら相談する気力もねぇんだよそれでまた深夜になったらこうなるんだよもう疲れたよしんどい死ぬことを許して欲しい。
もう一度、もう一度 これからこれから