思いをのせるこころノートには、自殺についての思いが投稿されます。
ここに書かれているのは、普段心に秘めているそのままの言葉です。
過ぎた時間は帰ってこない。過去に戻ってやり直したり出来ない。 過去の事に囚われて、今も台無しにするつもりなのか。そうじゃないだろう。しっかりしてくれ。しっかりしてくれ、頼むから
「そんなにママの事好きなの?」 「なんでそんなに(母親から)離れられないものか」 と母親がのたまった事がある。 反吐が出る。 何某かの際保証人等になってもらう存在が必要な為に日々気を使っているに過ぎない。心底嫌いで今すぐ死んでほしいレベルなのだが、一度その感情を出すと、こちらの健康状態がどうだろうが経済情勢がどうだろうが家を出てけだなんだと喚き散らすので日々グッと耐えている。なにか保証会社的なものは対応に追われ今の頭の動きでは対処しきれないと思ってあまり調べていない。それも問題かもしれない。 劣悪な障がい者施設でも行けることになった際、あまりにも施設側が軽症扱いしてきて早く働きに出ろと再三言われ続けたので、自分が言ったのでは信じてくれないかもしれないので身近で見てきた人間としていかにどうしようもない状態だったか話に来て欲しくて挨拶に来てくれないかと頼んだ事がある。(挨拶に来てくれとだけ頼んだのでこれは私も言葉が足りなかったかもしれない。)他の利用者の家族の方などは来ている方も居たので。 「なんでわたしがそんな事がしなくちゃいけないの?」 返答はこうだった。理由を述べてもう一度頼もうという気にはならなかった。疲弊していた。 公共の施設だろうがなんだろうが身内がお世話になっているところに挨拶しにくる気もないその姿勢にウンザリした。私を身内として扱っていなかった処もあるのかもしれない。 最近、ここから生活を進めて行くために行政の方等に当時の話をすると大概の人が驚いたり、酷いといった反応を見せてくれる。 そうすると、ああ、やっぱり当時の私の感性は正しかったのだな。と少し救われる。 「お金が無いんです。」 「解雇にあってしまったんです。」 「自殺しようとしたんですがうまくいきませんでした。」 これらを口に出す時、どれだけのエネルギーと、決断がいるのか、恐怖が不安があるのか、これらをプロだろうがどういう反応が返ってくるか分からない対象に口に出して伝えるのがどれほど命懸けなのか。 対応する部所の方にはどうか分かってほしいものである。 今置かれてる大変重要な状態の話なのだが、おいそれとは話せないのである。そこまで話すのになにかとりとめない話をしていてしまったとしても、 「自分のご飯の支度とか自分でしてないんじゃないですか?」 等と見下した様に吐き捨てるようなことは、決して口に出さないで欲しかった。
心がズタズタになりそうな気がする。過去の酷い職員の事を抗議したいという気持ちがあるのだが、思い返すと辛いし抗議した処で時間は戻ってこない。でも酷い事をした人間が放置されているのも堪らない。それに抗議できない自分の弱さも堪らない。 何が自分に取って最優先なのか見極めていかなければ。 今はこれからも生活をし続ける事が最優先なハズだ。精神科以外でも通わなくちゃいけない病院があるのにお金の問題で行けていない。そういった事を普通に通える健康が守れるという状態にする事が最優先のハズだ。 そのうえで過去の障害福祉課の不適切な言わなくてもいいこちらを侮辱した言葉の投げかをしてきた職員に対して抗議とともになにか講習の義務付け、またはデリケートな問題が関わってる部所には今後回さないという決定等をしてほしいと行政側には伝えたい。 時間は経っているとは思うのだが時間が経たねば向き合えない事もあるのだ。 障害施設の職員だが、本当に資質にかけていた。そういった利用者に対して虐待行為した人間に対してはデータベース的な物をちゃんと作って欲しいと思う。また、その職員に対してはあらゆる機関に働きかけ、精神障害者の症状をより悪くする能力が破綻してる人間としてどこかに突き出せないものかと思う。 こういった過去の事に向き合う事が私の人生のやりたい事そのものではないし、何が出来るかは分からないが、寝起きの朝方などはこういう気持ちに囚われて小一時間は取られるので何とかしていきたいものであるなと思う。 時間が経ってくると彼等も彼等で努力はしたんだろうなという気持ちになってくるのだが、彼等の仕事のずさんさが今、自分が生きていこう、しっかりしようと思っている事に足を引っ張っているのは事実だ。具合いが悪くても頑張りたい。良くなってできる限り人生を楽しみたいという必死な気持ちになると障害施設での酷い対応が思い出されて来て無気力になってしまう処がある。「やれるなら早く次の段階の就労に」という急かされ、急かされした記憶が生き物の本能みたいな処で恐怖して状況が整って無いのにやらされて失敗したらお前のせい。駄目だったら戻ってこい。という強制が堪らなかった。駄目になんぞなりたくないのである。仕事が決まったらそこの職場に居着きたいのである。自分の社会での居場所、人間関係を広げていく為の資金を得たいのである。 最初の聞き取りの時点で解雇されて自殺未遂、解雇されて自殺未遂を繰り返していて、医師から入院を勧められても家族は動かなく、自分自身に手持ちの金が無いので入院等の選択肢は浮かばす(今思えばこの時点で行政に相談したらどうだったのか。金が無くて入院出来ない。家族は非協力的と。)その後家で放置されてるだけで、金もないので友人に会いに行く事も出来ず、社会から孤立させられてる状況で3年も経っていた。という事を、ちゃんと話させてくれもしなかったのである。 その事を話そうとしたら障害者施設のセンター長には「お姫様じゃないんだから」と侮辱され、担当にちゃんと聞いてもらおうと相談予約の時間を取って話そうとしても「何でもかんでも聞ける人間はいないんですよっ!!」と怒鳴られたのだ。そんな言動の人間に信頼感や安心感など持てるはずもなく彼女等に対する気遣いで具合いの悪い私の気力は搾取されていったのだ。であっとしても彼女等は私達はあなたの為に頑張っているのよという言動を狂信的に信じてやってくるのである。 そんな処からは逃げ出すしかなかったのである。そして逃げ出す事によって公的な施設に通う事によって社会的な困難な状態を良い方に向かわせられる環境を取り上げられてしまったのである。私の生活から。悪質な職員の存在と仕事のせいで。 それらを自分で選んだんでしょう?とか言われたら本当に堪らない。 こちらは職員を選ぶ自由なんて無いのだ。 全ては過去の事なのに今の状況も困難にし続けている。堪ったもんじゃない
それでも生きていけ。と言ってくれる人が居ないので、自分で自分に言ってやることにする。
朝、起きた時、なんとなく天井に手を伸ばした。 今、私の体積分はこの世から空間をせしめてやってるぞザマーミロ。となんとなく思った。
博士課程です。研究も辛いし、いまさら大した仕事にもつけないので、卒業したら死のうと思っていたけど、死ぬのも怖い。色んな人に迷惑かけてしまうし家族にも申し訳ない。何でこんなことになってしまったのか。 この世界は戦う価値がある?