思いをのせるこころノートには、自殺についての思いが投稿されます。
ここに書かれているのは、普段心に秘めているそのままの言葉です。
がんばってもがんばっても全然幸せになれない。私は元が出来が悪いから人より頑張らないとって自分に言い聞かせ続けて呪いになってしまった。もうつかれた。だけど頑張らない自分には価値がないと思ってしまう。生きていても未来に希望が持てない。
生活が、変化に次ぐ変化的な状況に成りそうでおっかない。 正常化されるはずなんだけど、把握しなければ成らない事、判断しなければ成らない事、決定しなければ成らない事、なんかいっぱいだ。 寝っ転がっていても肩とか背中とかゾワゾワする。 あー。 一段一段足を踏み外さない様に登らなければ。 しっかりしなければ。無理はしないつもりだけど努力はしないと。 なんかし続ければ形になってくだろ。多分。それを受け入れる。 きっとここが正念場。 怖いけどやらなければ怖いのも無くならないし。 しっかりしよう。しっかりできる。しっかりしなければ。
シンプルに親に早く死んでほしい。 私は自分の問題に全力を注ぎたい。 脅されるのにはもううんざりだ。
なぜ当時、怒鳴ってくる障がい者施設の担当をそのまま受け入れてしまったんだろう。他の職員の事に対して苦情を申し入れたりも出来てたのに。と考えていたら、以前職場で精神障害を上司に告白した後、職場で今まで無かった人前で怒鳴られるという経験があり、立場が上の人への絶対的恐怖、絶対的服従の精神が自分の中から消えなくてそれらがたまらなく悔しかったのである。 理不尽な振る舞いやこちらの尊厳を踏みにじられても、相手に対して見捨てないでくれという気持ちになって屈従してしまい、そうした行為をしても自分の生活、収入、健康、精神、人生を守れないどうしようもなさが堪らなかったのである。 それらは社会通念上、目上を敬う姿勢を見せるとかとは全くもって次元の違う話であった。本能みたいな命の危機を感じるレベルでそうなってしまうのである。具合いが悪く他に行く当てのない状態で追い詰められて私はそうなってしまったのだ。 だから怒鳴ってくる恐怖の対象に慣れるチャンスであると思ってしまったのだ。 他の職員に対して苦情を既に出していたので、更に苦情を出すことによって堪え性のない人間、クレーマー、幼稚といったレッテルが貼られるのが怖かったせいもあると思う。ここの職員は大体こうなのだろうという諦めもあったかもしれない。 結果としてそれは良くない判断だったと思う。先ずもって精神的なサポートをされる側とする側の間には信頼関係が必要だったのだ。 今まで会ったこともなく、生き方も健康状態も生活状態も考え方も違う他者同士なのである。 世代も性別も違う場合もあるだろう。 そういった人間同士に必要なのは適切な距離感を保った人間らしい関わり合い方が必要だったと思う。 当事者の尊厳を踏みにじらない一定の礼節も必要だったのだ。 意思の疎通の難しい相手も居るだろうから大変だとは思うのだが、多少話せる意思表示が出来るからといって怒鳴っていいというカテゴリーに入れてしまう思考、思想、人間性の存在を、おいそれとは人には言えない様な事も伝えねば状況を理解させられないポジションに置き続けてはいけなかったのだ。 そういった事を伝えるのには信頼感と安心感は絶対に必要だったのだから。 私は焦って焦ってどうしようもなかったのだ。20代後半が解雇と自殺未遂の繰り返しで適切な手助けも得られないままで時間が占められ、居住地にも影響するかもしれない大きな災害があった頃でパニックにも成っていたのかとも思う。 最近かかりつけの精神科医の前でなぜ私の人生はこうなのかという気持ちになり泣いてしまったのだが、それでも進んでいきたいのだという事を言ったら、「徐々にね。」と言われたのだが、なんとなくしっくりきている。 一個一個積み重ねて行ったほうが結局は、今より大きい堅固な何かが私の中にも出来ていたのかもしれない。 生活も安定していたかもしれない。 良い人間関係もあったかもしれない。 パワハラにあったトラウマも信頼関係を構築出来た半走者を得た後で、じっくり取り組めれば良かったのかもしれない。 最初の一対一の面談で「〇〇〇さん実は…」と話し始めたところで「何でもかんでも聞ける人間はいないんですよっ!!」と、叫ぶように怒鳴る人間を長期的に観れば命がかかっている重大な事に関わらせてはいけなかったのだ。 そういう人間と信頼関係を築くなんてことは無理だったのだ。少なくとも私には。 普通の仕事だったら、ただの仕事だけの関係なので言い合いであったり交渉のしようがあるとは思うが、これは健康に関わる仕事に従事してる人間と罹患している人間の関係の事なのである。 そういった人間と今後の人生の為に信頼関係を築こうとする事で大変なエネルギーと時間をかけさせられてしまった。 信頼関係を築こうとしたとは思うのだが、最初に怒鳴らてしまった事による恐怖とそういった人間性の人間に対する忌避感というのは常にあったので築けてなど本当は居なかったのだと思う。ただ話すのに慣れただけだったのだと思う。 優しく丁寧に聴いてくれる人に頼る怖さというものがあった。誰しもがこうでは無いのだからと。 でもあの時必要だったのは優しく丁寧に聴いてくれる人が側に居る事だったのだ。一気に時間が取れないなら分けて聴いてくれてでも良かった。 目一杯になってヒステリックになられる位なら淡々と事務的にやってくれたほうがまだマシだった。 自分の精神を守れない人間が人の精神の健康を良くしていくのはなにか無理を感じる。これは人間性じゃなくて技術的な能力も必要だと思う。もちろん人間性は一番重要とも言えるとも思う。 担当に苦情申し立てをし、違う人間に変えてくれと言えていたらどうだったのだろうか。福祉オンブズマン等第三者に介入してもらってでも変えるべきだったのだ。 答えは永遠に分からない。
駄目だ。やっぱりすごく辛い。振り切るとか無理。 今、行政の窓口に成ってくれてる人が、話をちゃんと聴いてくれて、昔の障がい者施設の職員の対応におかしい。酷い。と言ってくれる程、なぜ今なんだと思ってしまう。なぜ今なら助けてくれるんだと思ってしまう。40越えてからどうしろっていうんだ。 当時、ちゃんと生活というものを与えてくれたなら、結婚とか子供とか間に合ったかもしれないと思ってしまう。 なぜ、生活がままなって無いという話をしようとする時に怒鳴られなければならなかったのか。萎縮するとは思わなかったのか。 そんな色々が、怒りとか悲しみが今の状況だと止まらない。滲み出てくるし、吹き出してもくる。 ここで吐き出させてもらいながら、なんとか今の状況をしのごうと思う。 前に進みたい気持ちも絶対にあるのだから。
学校がとにかく辛い 学校がだけじゃなくてこの社会で生きていく事自体辛いのかも 今日親友を心中に誘ってみたけど断られちゃった 嫌われたらどうしよう というかイジメられてもないのに辛いとか言っていいのかな 死にたいんじゃなくてこの世界で生きたくないだけ なのに何で誰もきずいてくれないんだろう こんなに悲しい気持ちなのに 明日起きたら死んでないかな だけど死ぬのわ怖いんだよな 矛盾だらけのダメな私をだれか必要としてくれ 多分それだけで生きる気力がわいてくる、、、多分