思いをのせるこころノートには、自殺についての思いが投稿されます。
ここに書かれているのは、普段心に秘めているそのままの言葉です。

明日

40代|女性

今日も朝の起き抜けから思い出されてくる。 許しがたい。 いつか法律でボコボコにしてやる。

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消えたい冬葵

20代|女性

もう死にたい。お母さんや妹にキレて迷惑をかけてしまう。どうして私は生きてるの?産まれてるなんて間違えてる。誰かに貢献して欲しいから産まれたの?でも、誰にも貢献出来なかった。そして、自分を殴ったり溺れようとしたり、壁に後頭部をぶつけたりした。お母さんにごめんなさい。就労移行支援もやめて全てリセットしたい。

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Nao

50代|女性

仕事も失敗ばかり、何度やっても上手くいかない💦失敗ばかりで、毎日怒られて‼️「ちゃんとやって」と言われても、ちゃんと真剣にしてるのに💦もう生きている意味が無い人間だ!死ねばいい!死ねばいい!その方が楽だ!幸せだ!!

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伊藤ライラック

20代|女性

死にたい。死ねなかった。こんな社会不適合者の自分が生きてるのしんどい。伐採されるべき人間。希望も気力もない。ダメダメ人間。早くしななきゃいけないのにできない。薬を飲んでも死にたくて苦しい

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ベネディクト

30代|男性

インドネシアの出身のベネディクトです。 2015年4月から2024年5月まで日本に住んで生活しました。  日本語学校と専門学校を経て、2017年4月から2021年3月に日本の大学に入って大学生やっていました。 大学生のころ、友達は少ないですが、 優秀で、成績がよくて立派な学生でした。卒業しても、国際法という大学で学んだことは一般日本企業に活かせるものではないと自覚しました。特にやりたいことが見つからないですが、大学で頑張っていたからこそ、全く分からない業界でももとりあえずチャレンジして頑張ってみようという強い気持ちが昔ありました。今は前と違って非常に精神が弱まって生きづらさを感じています。 卒業後、3年間で、4社の日本企業で在籍しました。貿易や流通業買を経て、外国人の就労支援業務に従事しました。1社目は勤務1年四ヶ月間の時に適応障害になってしまいました。3ヶ月間休職期間に入ったが、職場復帰できず休職期間満了の時にそのまま退職しました。2社目は職場の人間関係や苦手な接客という問題で、たった六ヶ月間在籍した後、退職しました。当時、退職届を上司に渡したとしても、なかなか辞めさせてくれなくて労働基準監督署まで相談をしました。3社目は勤務3ヶ月間の時、ADHDとASDと社会不安障害になってしまいました。診療内科の先生から診断書は出て休職が必要だと書かれていても、上司は無視して、普通に出勤してくださいと言われて気持ちはつらくなりました。上司と社長と話し合った結果、会社は傷病手当の申請に協力できますが、職場復帰か、辞めるか、今すぐ決めて下さいと言われました。言われたとしても私にはすぐ決断を行うのは難しいです。また、休職期間中に、職場復帰か辞めるか早く決めて下さいと何回も上司から強く聞かれて私しんどくて、退職しました。退職後、住む場所はなくなって、3ヶ月間シェルターで生活したこともあります。精神面も金銭面も苦しんでいる状態でも、失業手当を受給してしばらく生活維持できました。心療内科に通っていて、先生は私即時帰国できるようにと勧めましたが、私は断固してビザのために日本に働いて生き残りました。4社目は今年の3月に入社しましたが、時間をかけて対応できる職場環境ではありませんでした。このまま仕事を続けていたら、精神を病んで自分が壊れてしまって命を落とそうと思って今月に退職しました。金銭面も精神も苦しんでいて、退職は何回も繰り返して、精神が弱まる他に、自信もなくなりました。そのため、転職活動をやる余裕がありませんでした。周りの支援者からの提案に従って、今月末にやむえず帰国することにしました。 これまで職場人間関係や会社都合という主な原因で、退職しましたが、自己都合もあります。初めて仕事をしてみて率直に思ったのは自分無能すぎということです。日本の社会に出るまでは気がつかなかったが、私は人より頭の回転が遅くて日本語力とコミュニケーション力が低い人間だったみたいです。上司とか周りの人に仕事の説明とかしてもらいましたが、頭悪いのせいで、全然理解できないし、自分が作業する時も、機転が利かなくて詰まってしまってなかなかうまく仕事が進みませんでした。あと、自分がやった仕事の説明とかする時も、しゃべるのが下手すぎて全然相手に伝わらなくて怒られました。人との不信感があって日本に信用できる友達も知り合いもいないので、毎日疲れました。また、適応障害や発達障害という診断を受けてもかなりショックでした。気持ち的には活躍したいと思っていたが、まさかメンタルがやられてここまで仕事ができないなんて想像していませんでした。仕事ができないので、どこの職場に行っても短い期間ですぐ辞めてしまいます。周りの人が普通に仕事ができていることでも、自分だけはうまくできないということが本当に多くてなんでこんな無能なんだろうって落ち込んでいました。自分が悪いのは理解していますが、仕事ができないので、結構キツイこともたくさん言われてきました。自分も責めて精神がすり減ってました。自分なりに仕事の勉強をして改善しようとはしていたが、一向に仕事できるようにはなりませんでした。言い訳になってしまうんですが、何回も何回も頑張ってもうまくいかないという現実には私は疲れてしまいました。 心と身体が健康でない時に、仕事をこなすのは難しいのは当たり前のことですが、私にはASDとADHDという特性があるので、仮に健康である時でも、どの職場でも、仕事はできないに決まっています。 コミュニケーションがうまくとれないことにつきましては言語力の問題は関係していると思います。言葉の壁ももちろんありますし、自分の日本語力は現実、足りなくて言語力がのびないと認識しています。長い間、日本に住んでいるのに、語学力はのびないってとても悔しいです。日本人みたいに話せるのはいつまでもできないと思います。日本の企業で働くには高度な日本語力は必要ですが、自分の日本語力では仕事ができないと感じ、自分を責めました。 苦しい中で、日本で生き続けるための方法を調べたが、ビザの問題で、生活保護や貸付に申請できないので、状況はより悪化になりました。他の方法はないから、やむえず今月末帰国することにしました。帰国後、母国の治安や宗教争いの問題や人々や家族問題があるので、精神状態が必ず取り戻せるとは思いません。社会復帰は難しくて、なかなか仕事はできなくて金銭面も苦しんでしまいます。帰国して適応できない環境にいてより生きづらさを感じます。日本に働いて精神障害になってしまったことに加えて母国に残った不安やトラウマで体調回復の工夫を行うのはとてめ難しいです。死にたいという気持ちはなくならないので、現地で障害者施設や精神病院に入院すると検討しています。 日本についての意見ですが、残念ながらあたたかくて優しい社会ではありません。日本で働き続けるには、しんどい中でもがんばり続けることが必要です。そのためには健康な心身がいります。その日本人の働く精神や勤勉に対しては、まねして私なりに精神を鍛えてみたが、やはり難しかった。 日本の各地域で国際交流協会は設立されたとしても、現実には日本はまだまだ多文化共生を受け入れない社会です。日本は島国なので、外国人に不慣れ、外国の文化を受け入れないという理由があって聞きましたが、私の国も島国で、日本みたいにそこまで閉鎖されているほどではないと思います。また、日本では物価高騰や進んだ少子高齢化や人口減少は深刻な問題になって、将来の日本では生きづらさを感じると思います。 日本人は外国人と一緒に生きていくのにどのように自分たちが変わらなければならないかを、まだ理解できていないと思います。それに加えて、自身の障害(発達障害、適応障害)について周囲の理解が得られないことで、日本だけでなくインドネシアでも生きづらさを感じているので、とても辛いです。障害は本人が努力で変えられるものではないので、やはり社会の側が変わっていかなければならないと思います。 日本に働いて心身共に限界まで頑張ったけれど、会社の対応等で問題もあって体調を崩されたり、あるいは精神的に追い込まれたり、会社から退職を促されたり、ハラスメントを受けられたり、我慢してきたわけですから、とてもつらかった。 日本は、発達障害についても、課題がたくさんある社会です。適切な検査や診断・診療、治療、セラピーを受けることはとても難しく、本当に大変です。発達障害をもつ子どもたちは、学校で十分対応してもらえず、大人になってから、発達障害をもつ私も、自立して生活していける就労環境や支援も乏しいです。 在留資格も制限があって、できることがほとんどなかったことは、私も悔しい気持ちがいっぱいあります。 インドネシアに戻っても解決ではありません。社会福祉制度や治安問題や人々や家族問題で環境が変わって適応するのは難しいし、とても生きづらい国です。自分の障害も配慮してもらえないです。 大学卒業後、私の実力を発揮できる場を日本の社会が提供できなかったことは、本当に残念です。日本の大学で学んだことは日本会社に活かせるものではなくて、役に立たないといのは本当に残念です。全ては無駄になってしまいました。本当に希望と生きる意味も失いました。

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ゆー

20代|その他

いつでも死ねるからもうちょっと頑張ってみよう 自殺という選択肢が自分にとっては生きる希望でもある

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