思いをのせるこころノートには、自殺についての思いが投稿されます。
ここに書かれているのは、普段心に秘めているそのままの言葉です。
あの時助けてくれる人が居たらなあ。と考えてもしょうがない事を考える。 さみしいな。
精神的な治療の薬の種類が増えた。 よく眠れた。 今日は風邪気味で1日中寝ることにした。 何時間が起きに目が覚めるのだが、酷い対応をした施設職員とのやり取りがいつも以上に鮮明に思い出された。鮮明に思い出させるがだけに、その時感じた恐怖、怒り、悲しみ、絶望、焦燥、不安等諸々の感情も鮮明に思い出された。鮮明に思い出されたとしても、それはもう随分と前の過去であり、何もできないのだというストレスが頭と心臓とを重だるくさせる。 ここの処、今後の生活の変化への対応に追われていて今日くらいはガッツリと寝ようと思ったのにこれである。 年齢的に体調の変化も著しく、それにも引っ張られる。 いつかさわやかな目覚めとやらをもう一度味わうことが出来るのだろうか。 期待せずにほのかにほのかに望み、とりあえずは睡眠がとれている事に感謝しようと思う。
死ななくて良いはずなんだ。 生きてて良いはずなんだ。
全部遺伝子ですわ
死にたくなるのって悲しい。だって頑張って頑張って頑張って頑張って頑張って頑張ってきたのに。 どうにからないかと七転八倒したのに。 疲れ切って死にたくなるのって悲しい。 そんな死は悲しくて嫌なんだ。 だけどやる気が出ないんだ。 もうやる気を出すのがこわい。 少しづつなら。少しづつなら行けるはずなんだ。
大阪は嫌い。全てが嫌い。 大阪の人のせいで不幸にされた。 フラッシュバックしたら、奴を呪うことにしている。毎日呪いの時間を作って、怨念を送っている。直接口撃もした。必ずあいつは自殺する。私より惨めな人生を送っている。もはや呪いが届いて死んだ存在だと思おう。 私は自力でトラウマを解消したんだ。 そう思い込んでいる。 だけど実際、呪い始めたら何人か本当に不幸になってきた。仕事を首になったり、謎の体調不良で倒れたりしている。これは偶然なのか?